中庭の風景 - 2 -
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翌日の午後。
前の日と同じ時間、病室のドアにノックの音がした。
「石田です。いいですか?」
「どう‥ ぞ‥」
菜月の声は消え入りそうに小さい。
ドアを閉め、ベッドにゆっくりと近づく石田。
菜月の表情に、恥じらいと喜びが交互に現れては消える。
待っていた人。心から。
見てる友香里でさえ、胸が切なくなるような、
そんな菜月のようす。
朝からの質問攻めも、しょうがなかったかと、
今、友香里は納得している。
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「ねぇねぇ、これでいい? 友香里〜」
「?」
「髪、変なふうになってない?」
「うん、いい感じだよ」
「でも、やっぱ、結わえたほうがいいか」
「それもいいね」
「う〜ん、どうしよう‥‥」
「あとさぁ、
何もつけないのも‥ おかしいよね?」
「え? なんにもつけないって‥‥
それは、 やっぱり、 彼、 ヒクかも。
せめてエプロンとかぐらいは‥」
「友香里‥‥ それ違う‥‥」
「え?」
「私が言ってたのは、リップクリームのことなんだけど」
「あ! そうだったんだ。
そうだよね。変だと思ったんだ。
控えめな菜月がいきなりそんな大胆に。ねぇ。
高校生だもん、そこまでやっちゃ」
「‥‥‥そのエプロンって、どこから出てきたの?」
「え? え〜と、これは‥ へ〜ぇ。教授が入れたイメージだよ」
「お父さんがそんなこと‥‥」
「まぁまぁ。教授だって男なんだし。
かわいいもんじゃない、これぐらいは」
「‥‥‥」
「それより、このピンクのリップなんか、いい感じだと思うけど?」
「‥‥そうかな?」
「うんうん、いいよいいよ」
「‥‥でもやっぱり透明なほうがいいかな?
ああ、どうしよう。決めらんない〜」
朝からずっと、それは続いていた。
くりかえし、くりかえし。あきることなく。
いや、友香里は完全にあきれていたが‥‥‥
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「こんにちわ、菜月ちゃんと友香里ちゃん」
「石田さん、こんにちは!
うれしいな〜 私の名前も覚えてくれてたんだ!
あれ? ほら、菜月〜 なにしてんの?」
「うん。あのぅ‥‥ こんにちは」
「んもう、そんなに固くならなくてもいいのに、菜月ったら。
このコ奥手でね。じれったいったらありゃしない。
だいたい、なんで菜月は」
「あの、これ」
石田が差し出したのは小さな花束だった。
いままで背中に隠していたようだ。
ピンクの薔薇と、赤いカーネーションが、
菜の花の黄色にアクセントをつけている。
石田の頬がかすかに赤らむ。ぎごちない瞬間。
受け取った菜月は、花束に顔を近づけ目を閉じる。
花の香りに身を任せるように。
そしてゆっくりと目を開き、石田に微笑みかける。
「いい香りです、これ、とっても」
「いいねぇ〜 私もその手使おう
だってさ、まんま女の子だよねそのしぐさ。
博士のプログラムには、残念ながらそこまで入ってないもの。
頭良くても男には限界だね、こうゆうのはね」
「あの、こんなものまで頂いては、わたし」
「いいんですよ。きのうは手ぶらだったし。
いやぁ、この前話した友達、ほら、ここに入院してるやつね。
そいつに怒られちゃって。おまえ無神経すぎるって」
「‥‥?」
「女性のところに行くのに手ぶらなんて。
だからこの年まで彼女が出来ないんだよ。
って、もう散々」
「でも、こうやってお話できるだけで、私は‥‥」
「はいはい。ちょっと割り込むね。
やっぱ私ここにいらんないわ。つまんないもん。
さっきから二人でラブラブモードでさ、
カンペキに無視されてる〜 ていうかお邪魔虫なんだもん!
消えるよ私。
それとももっと見せつけたいわけ? 二人のラブラブなとこ」
「あ!」
「いいっていいって。30分ぐらい散歩してくる!」
友香里はあっという間にドアから外に出て行く。
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ドアが閉まり、友香里の足音が聞こえなくなった後、
部屋は沈黙に支配される。
胸の中にあるたくさんの思いを、
どうやって言葉にしたらいいのかもわからず、
菜月はうつむいたまま、顔を上げることすら出来なくなっていた。
友香里がいなくなってしまうと、菜月は途方にくれる。
そのうちに、せきを切ったようにあふれ出した感情が、
行き所をなくし、涙に変わる。
なんで泣くんだよこんなとこで。嬉しいはずなのに。
夢にまで見た人がここにいるのに。
だめだよ泣いちゃ‥‥
「そうか。ここから中庭が見えるんですね」
幸いにも石田は窓の外を見ていた。
やっとのことで、涙を気づかれぬように拭きながら、向き直る。
「こうして実際に僕と話して、やっぱりがっかりしてません?」
「そんなこと」
菜月の方へと向き直った石田は、予想もしなかった言葉を告げた。
「ぼくは‥ 思ったとおりでしたよ」
「!」
「だって窓際に立つ菜月さん、最初の日から気づいてたから」
菜月は大きく目を見開き、てのひらを口に当てている。
「黄色のブラウスに赤いカーディガンでしたね。あのとき。
目に焼き付いてます。今でも」
なんと言ったらいいのだろう。
見つめていたのは自分だけのはずだった。
そうだとばっかり‥‥
「友香里さんに連れられて、
この部屋の前まで来てやっと気づいた。
あ、ここはあの子の部屋だ、って」
「それまでに何度かここに来ようと思ったけど、
行っちゃいけないって、わかってた。鈍感な僕でもね。
入院しているはずなのに、僕は一度も君が外を歩く姿を見ていない。
たぶん、僕に分らないつらい状態なんだろうって想像できた。
それを、会いたくて来ました、なんて簡単には‥‥」
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「私ね」
石田の言葉を引き取るように、菜月は話し始めた。
さっきまでと、なにかが違う。
その目が訴える強さに、石田は何も言わず耳を傾ける。
「私、ほんの半年前までは、すごくありふれた高校生でした。
普通に学校に行って、友達と映画見て、遊園地行って、
新しいお菓子が出るとコンビニで買って、そんな毎日で」
「でも、この病気になってから‥‥ わかりました。
私すごく幸せだったんですね、ずっと。
普通に暮らしてたことが、かけがえのない毎日だったって。
なんにも気づかずにいたことが、不思議なくらい」
「最初のうちは珍しいことが多くて。
だって、入院なんて初めてのことですから。
でもそのうちこの生活にも慣れてきて、
ふとした瞬間、
このまま治ることもなく、この部屋でわたしは、って。
出口の無い洞窟に閉じ込められたみたいになって」
「‥‥そうか」
「温度差とか直射日光とか、普通ならなんでもない刺激に対して、
何らかのきっかけで、皮膚が過激な反応を始めているって。
お医者さんは、そう言ってました。
まちがった抗体反応。と言うのだそうです」
そのときの担当医の言葉を、菜月は忘れたことがない。
『そしていつか、次の変化が起きます。
皮膚に起きた突然変異が、体の内部でも発生して、
最終的には、免疫機能が自らの体細胞を破壊しようとします』
それがよりによって自分に起きることだとは、
すぐには信じられなかった。
他人のことのようにしか聞こえなかった。
「でも、それは避けられない現実だと言われました。
3ヶ月か、半年か、一年か‥ それぐらい先には‥‥‥」
「‥‥‥‥」
窓に向かったまま、石田は言葉をなくしていた。
「ごめんなさい。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
聞いたって全然おもしろくないですよね、こんな話」
「もっと違う話、しましょうか?」
石田が菜月のほうへ振り向く。
その両目には涙があふれていた。
「ぼくは今まで、
自分がこんなに役立たずだって、思ったことがなかった。
なにも‥‥ 君のために、なにもしてあげられないことが、
今とてもつらい」
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