拓実

4.

「いつもこんなところに来てるんですか?」
「時々。それも仕事」
「ですよね」

新宿の高層ビル。50階。
東京の街が、別人のような装いを見せている。
ちょうど宝石箱をぶちまけたように、キラキラと輝いている。

そして、えらく隣のテーブルとの距離が離れたこのレストランは、
どこに座っても見渡す限りの夜景があって…

今、黒いドレスを着た石崎課長と、
そして、差し向かいでアペリチフを飲んでる俺と。
なんかこう、ありえない状態が現実にここにあって。

あと… 正面の課長の大胆にえぐられた胸元が、
気になること気になること…

「そんなにジロジロ見るのはどうかと思うけど?」
「あっ、ごめ、ちょっと」
「残念ながら、ひと様にお見せするほどのもんじゃないし」
「いや、そんなことはなくて十分に、あの」
「十分に?」
「えっと、えっと」
言葉が見つからない。この場に合ったボキャブラリーがない。
セクハラにならないようなほめ言葉って、

「フフッ」
「?」
「冗談よ。ごめんね」
「そんな~ やめて下さいよ~」

オードブルから魚へと料理が移ってゆく。

「いやぁ緊張しますよ、こういうとこは。なんか別世界のようで」
「それにしては、さっきからしっかり食べてるみたいだけど?」
「まぁ、胃のほうはそれほどストレス感じないというか」
「図太いのね」
「はぁ、はっきり言えば鈍感というか」

可愛らしいサイズのフィレ肉の到着。でも半端じゃない柔らかさ。

それをフォークで口に運びながら課長は笑ってる。
とっても楽しそうだ。
会社でこんなに笑顔一杯の課長なんて見たことはない。


フルボトルのボルドーが空になったところで、とてもいい気分になった。
デザートのあとはエスプレッソが出る。
ギャルソンが退がった瞬間だった。

「杉田君ってさぁ」
突然課長が声を潜めて話し出す。

「はいはい」
満腹でいまいち集中力を失った俺。

「彼女… いるの?」
「いえ、全然」
「うっそ~」
「ほんとです」
「ふ~ん。結構いけてると思うんだけどな~」

十分に酔っていたオレは自然の流れで逆に質問をした。

「じゃ、石崎さんは?」
「えっ?」
「だから~ カレシ! 一人や二人や三人や
 いやいや、サッカーチーム作れるぐらいいるんでしょ?
 この際だから正直に言って下さい!」

しかし課長のリアクションはオレの予想しなかったものだった。
じっとオレの目を見て、そして見る間に口元の微笑が消えて、
目に涙がうっすらと……

酔いに任せて『やっちゃった!』と思った。
「あ、あの」

あわててナプキンで涙をぬぐっている。
「ごめんなさいね、ヘンなとこ見せちゃって」
「こっちこそ… つまんないこと聞いて済みませんでした」
「いいのよ、私がいけなかったんだから。あぁ、恥ずかしい」

そのとき課長が見せたつくり笑いに……

オレのハートは射抜かれた。ドンピシャど真ん中を貫通。
決して飲みすぎてたからじゃない…  と思う。

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そのあとエレベーターで下に降りて外に出る。
課長の足取りが少し怪しい雰囲気。
「もう一軒行こう!」と騒ぐのを押さえて、
強制的に自宅に送り届けることにした。

彼女の記憶の中にある痛みのエリア。
それを忘れようとして、今は強気の行動に出ている。
無理をしている。多分今までずっとこんな感じだったんだろう。

タクシーの中、オレの膝でスヤスヤ寝ている彼女を見ていて、
なんか、この人を守りたいって、急に思った。

ばかだ。
オレなんかよりはるかにオトナの課長をつかまえて、
「守りたい」だなんて。
給料も上で、キャリアも上で、頭の切れもはるかに課長のほうが…

とことん落ち込む前に、タクシーは課長のマンションについた。
呼びかけた俺の言葉に「起きてる」と即答があった。
もう酔いはさめてるようだった。

部屋の前まで送る。
「じゃここで」
玄関でオレはそう言った。

「あがって行かない?」
「いいんですか?」
「なにもないけど、お茶ぐらいはあるから」

「じゃ」


きれいに片付いた部屋だった。
予想外だったのは、あちこちにぬいぐるみがあって、
まるで、そう、部屋の主が女子高生みたいな、
そんな印象。

すぐにハーブティーが出てきた。
目の前の美人と薄い色のハーブティーと、
そのふたつの物体からただようほのかな香りは微妙に混ざり合って。

なんか、天国にでもいるような気分だった。


「むかーし」
「?」
「働きながら大学に行ってた頃、大好きな人がいて」
「……」
「結婚したいと思ってた」

「でも、別に彼女ができて、彼はその人を選択した」
「多分そのときからだったと思う。
 一人でも生きていける、そんな女になりたいと思ったのは」

「だって、別れ際に言われた言葉、今も忘れてないから」

『迷惑なんだよね、頼られちゃうのって』


彼女は高校の頃両親を亡くし、働きながら大学へ通っていた、
と同期の西山に以前聞いたことがある。

彼女は首席で大学を卒業し、会社に入ってすぐ頭角をあらわす。
そして同期の男たちを押しのけて、あっという間に課長職に到達。

「でも、もう疲れちゃった。なんか」
彼女はそう言ったきりうつむいている。
涙がポタリと白いテーブルの上に落ちた。

「わたし… 何言ってんだろ… 
 ヘンだね。今日は」

オレは考えることもなく行動していた。
椅子から立ち上がりテーブルを回り、
彼女の後ろから震えるその体を抱きしめた。

一瞬ビクッとした彼女は、すぐに俺の腕にそっと手をそえる。
ほほをすりつけている、まるで子猫のように。

腕をほどく。
あごの先を指で押してこちらに向かせた。
いつもの見慣れた石崎課長はどこにもいない。
涙に濡れた頬、悲しそうな瞳、への字に結ばれた口。
ただ寂しそうな姿のおんなのこがそこにいるだけだった。

オレは彼女にキスをした。


「落ち着いた?」
「うん、だいぶ」
涙をぬぐっている。
「うぁー! メイクぼろぼろ」
あわてて洗面所に向かう。

見えない彼女に声をかけた。
「遅くなったから、オレ帰ります」
タオルをかかえたままの彼女があせって出てきた。

「じゃ、これで」
「今日はどうもありがと」
「いえこっちこそ、ごちそうになっちゃって」

オレがドアノブに手をかけたとき、彼女の気配がした。
振り向くと同時にオレの胸の中に飛び込んできた。
そしてそのままギュッとオレの腰を抱きしめる。

「あの、ちょっと」
「……」
彼女は無言だった。
多分、今日はうちには帰らないで、ここに泊まるんだろうな、
と、そのときオレは漠然と思った。

迷うことなく彼女を抱き上げベッドルームに連れて行く。
熊のぬいぐるみの隣にそっと降ろす。

オレはあらためてベッドサイドに腰掛ける。
手をとって両手で包む。
そばにいてやりたい… そのときの俺の心の中には、それしかなかった。

そんなオレをじっと見つめてた彼女が意を決したように口を開く。

「あの… そこじゃなくて、こっちに… 来て…?」
「いや、それは」
「お願い」

言われるがまま隣に寝る。
すぐさま、彼女はオレの胸に顔をうずめる。 なんか気持ちよさそうにしてる。

いい香りが… した。

頃合をみて体を離そうとした。
ぐっと両腕がオレの体をつかまえてくる。

そう来るか。オレは迷うことなく彼女の体に腕をまわした

結局明け方までそのままだった。腕の中に彼女をかかえたままで…
ちょっと、腕がしびれた。
なにせ、女性が腕の中にいる経験自体初めてだったし。



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