拓実
2.
大晦日。
気合を入れて窓を磨いているオレのとこに、エプロンをつけた拓実が来た。
手に小皿とお箸を持ってる。
「ねぇねぇ、お豆の甘さと煮加減、これぐらいでいいかな?
あ~ん?」
皿の上の金時豆を、お箸でオレの口に入れる。
心配そうに、俺の表情をうかがっている拓実。
「うん、ちょうどいい。オレ、これぐらいが好きだな」
「よかった。あんまりこういうの作ったことないから自信ないのよね」
「大丈夫だよ、そんなに神経質にならなくても。
おれんち、両親が共働きだったからレトルト結構多かったし」
そう言った瞬間、
今までなら何も考えずに使っていたひとつの言葉が、
ふと心にひっかかった。
「どうしたの、カズちゃん? 急に黙っちゃって」
「いや… 今さ、『おれんち』って、言ったろ?」
「?」
「今、こうやって、拓実と正月を迎える準備をしててさ、
考えたら、もう、ここがおれんちなんだって。
そう思ったら、へぇ~ってね。ま、それだけなんだけど」
「…そうかぁ …じゃあ、ここは… わたしんち?」
「そういうことになるかな」
「ふ~ん すごいね~ それって」
そう言いながら台所に戻った拓実は、
「わたしんちか… そうか…」
と、しばらく独り言を繰り返していた。
なんだかやけに楽しそうだった。
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元旦には、型どおりの新年の挨拶を二人でした。
朝、裸で抱き合ったまま目が覚めたのはこっちに置いといて。
別な意味での挨拶が先になってしまったのも、こっちに置いといて。
年頭の儀式だから、テーブルに差し向かいで、いちおうまじめに。
お雑煮やらいろいろ食べた後、おこたでしばらくゴロゴロする。
拓実は俺の髪を指に巻いて遊んでる。
おだやかな時間が俺を包みこんでいた。
しかし、今日は予定がある。
「そろそろ… 出かける準備しようか?」
「うん。私、今日は支度に時間掛かるからね~」
「でもほんとに拓実、和服なんて着られるの? かなり疑わしいんだけど…
なんか、ビシッと決めたスーツ姿はイメージにあるけど」
「だいじょうぶ。高校生のときおばあちゃんに教わったの、しっかり」
タンスを置いてある部屋にいく。
和ダンスから一段をひきぬいて、拓実はそれをそっとおろす。
薄い紙をめくると、鮮やかな色彩が目の前に広がる。
なんか、明らかに高級そうな感じ。
「いいね」
「私もこれ大好きなの。ここ何年か着てなかったけど」
それは多分、仕事が忙しかったせいだろ。
「何してるの?」
「え?」
「着替えるから」
「いいんじゃない? 別にそんなこと気にしないで。
俺たち、夫婦なんだし。けさだって、」
「ダメ! それとこれとは話が違うの。
恥ずかしいんだから出て行って。
それに……」
「それに?」
「ぜったいカズちゃん、ケダモノになるでしょ?
余計な時間ないんだから。さぁ、はやく!」
有無を言わせずドアから押し出された。
言われてみれば、確かに拓実の言う通りだ。
長襦袢を着たあたりで俺が拓実に襲い掛かる確率は…
100%に近い。
これはある意味、情けないかも……
「お待たせしました」
ドアを開ける音と共に、拓実が顔を出す。
いい!
そんな俺の賛辞の言葉に、満更でもなさそうな拓実。
「そ~ぉ?」
「うん、すごくいい」
実際とても素敵だった。
考えてみれば20代。会社じゃきっちり管理職を演じていても、
まだまだ女の子。当然といえば当然か。
一方こちらはスーツを着るだけで終了。男は簡単だ。
二人で家を出る。
今日は、二人で部長の自宅に行く予定。
既に一緒に暮らしてて、婚姻届まで済んでて、
まぁ、あらゆる意味で俺たちは夫婦なわけで。
そのことをいつまでも会社に内緒にしておくのは、
あまりにもまずいだろうと。
去年拓実に「しばらく秘密のままで」って言ったのは、
あれは完全な「釣り」。ちょっとやりすぎたと反省してる。
だいたい、彼女、部長にはずいぶん可愛がって貰っている。
今の彼女があるのも、才能を見抜いて抜擢してくれた部長がいたからこそ。
まわりから噂で聞くよりも、本人から直接伝えたほうが、
恩人に対して失礼がないだろう。
ぼくらの意見はその点で一致していた。
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「……正月早々なにごとかと思ったら。
いや、二人で来るというから、もしかしたらとは思ったけど、
まさか君たちがね~
え? もう籍も入れたって?
じゃもう正真正銘の夫婦ってことか…」
そう言って、部長は絶句する。
「あ、ごめん。おめでとうも言ってないな。
改めて…
おめでとう、お二人さん」
「ありがとうございます」
よかった、喜んでもらえて。二人で顔を見合わせる。
ちょうどそこに部長の奥さんが紅茶を持ってきた。
「おまえ、聞いたか、今の話?」
「えぇ、聞こえましたよ」
「俺は全く気づかなかった。毎日二人と顔合わせてたんだけどな」
「まぁ、男の人は…… ねぇ~」
奥さんは拓実のほうを向いて笑いかける。
「なんだ? 何が言いたいんだ?」
「だいたい、あなたってそういうとこ、昔から疎いんですもの。
玄関に入ってきた二人見ただけで、私にはすぐにわかりましたよ?
上司と部下には全然見えませんでしたねぇ、このお二人は」
「そうか…」
部長はちょっと気分を害した様子だった。
「で、どういうきっかけだったのかしら?
すご~く興味があるの。ねぇねぇ、教えて?」
「おまえ」
「いいでしょ? おめでたい話なんだから」
「だいたい、うちなんかね、
『おまえが結婚してくれなきゃ、オレは生きていけない!』
な~んて真顔で口説かれたのね、この人に。
私としては人助けだと思って結婚をOKしたようなもんだけど。
でも彼はそういうタイプには見えないしねぇ…」
「お、おまえ… そんな昔のことを…」
「忘れられないのよ。とっても素敵な思い出なんだもの」
「ったく…… いつまでも、そんなことを」
そんなふたりのやりとりを見てて、
こんな形の夫婦になれたらいいな、ふとそう思った。
隣の拓実と顔を見合す。微笑んでる。
同じことを考えていたようだ。
「あらあら、ちょっと目を離すと、すぐラブラブモードってわけね。
あなた! うちも明日からこんなふうにしましょう?」
部長はお茶を噴く寸前だった。
そう、きっかけ……
俺と拓実の間が、上司と部下の関係から逸脱しはじめたのは、
ちょうど一年前の今ごろ起きた、あの事件からだった……
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