『モカマタリをストレートで』 Part. 1
良くない目覚めだ。体が鉛のように重い。 見上げた天井に徐々に焦点が合ってくる。 チャイムの音がした。玄関に誰か来たようだ。 多分これで起こされたんだろう。 壁の時計を見る。10時をさしている。 カーテンの向こうが明るいところを見ると、夜ではないようだ。 朝の10時。12時間眠った、ということか‥‥ また、チャイムの音がする。 出たくない気分だった。無視をすることに決め、布団をかぶった。 さらに鳴り響く。しつこいくらい。宅急便か何かだろうか? あきらめて起き上がり、1Fにつながるディスプレイを見た。 映ってるのは若い女の子。 毛糸のショールみたいなものを巻きつけた、童顔の娘。 こんな知り合いはいない。 「どんなご用件ですか?」 とりあえず聞いてみる。 「あの、吉永さんのお宅で家政婦をするようにと‥」 「え?」 「ですから、私、家政婦で」 やっと思い出した。 「ああ。そうか。家政婦さんね」 「はい、そうです」 ニコッとカメラに向かって微笑む。 カチッ。 その笑顔を見た瞬間、何かが俺の記憶を刺激した。 今のはいったい何だ? 見も知らない娘なのに‥‥ 何かが俺の心の深いところをかすめて通過した。 それが何なのか‥ わからない。まったく。 勘違い。寝起きのせい。そう決めた。 ロックを解除する。 「どうぞ。そこから入れます」 オートドアをくぐるのが見えた。 服のまま寝ていた俺は、着替える必要も無かった。 オーバーオールだけを引っ掛けて、エレベーターの前で待つ。 ガラスの向こう、ゆっくりと上がってくる光の箱。 止まる。 ドアが開く。俺を認知した。 「山崎加奈子です」 「吉永弘志です」 彼女を部屋へと案内する。 * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * 母親から電話があったのは4日ほど前のことだ。 一人暮らしの俺を心配して家政婦を頼んだ、そう言っていた。 なんとなく予想してたのは、50過ぎのおばちゃんだった。 根拠は無かったが、俺の頭の中ではそういうイメージだった。 少なくとも、こんな若い娘だとは思ってもみなかった。 ダイニングで差し向かい。二人。 急須でお茶を入れ、渡した。 「俺、てっきり50代のおばちゃんが来るとばっかり」 「?」 「いや、だから。家政婦って言えばさ」 「あぁ。そうかもしれませんね、普通は」 「とすると‥ 山崎さん、だったよね?」 「はいそうです、山崎加奈子です」 「え〜と。山崎さんは、どうしてここへ?」 なぜか間が空く。 ちょっと彼女の表情が固くなる。 「それについて、吉永さんにお知らせすることがあります」 「?」 「あの、これってけっこう機密事項なんで‥」 この娘は何を言ってるんだ? 「実は私‥‥」 「?」 「アンドロイドなんです」 「え? アンド‥ ロイド‥?」 「そう、アンドロイドです」 「‥‥アンドロイドって、君、ロボットなの?」 「はい、簡単に言えばそういうことです」 あらためてしげしげと見る。 頭の先から順番に。 髪。額。眉。目。鼻。口。首筋。そして胸。 違和感はどこにもない。 いや最後のほうは、適度な隆起がなんとも‥ いいかげんにしろ、と凝視したままの自分をしかりつけ、 彼女の顔に視線を戻した。 顔が赤くなっている? そして伏目がちで。 「あんまりそんなに‥」 いけない。無遠慮にじろじろ見てしまった。 「ごめん」 「いえ‥‥」 どこからどう見ても普通の女の子だ。 かいま見せる表情も、姿かたちも、なにもかもが。 気を取り直したように、彼女が続きを話し始める 「IT関連の企業体で開発された、 ヒューマノイドタイプの1号機なんです、私。 企業名は言うことはできないんですが。 あ、いちおう型番はFMS-001-KYです」 「ですから、このことは他の方には言わないで下さい。 そうしないと、ここにいられなくなりますので」 「もし吉永さんがこのことに承諾してくだされば、 無料で家政婦の仕事をすることになってます。 どうでしょうか?」 「あと、こちらでの動作記録は、 データ解析のため、研究室のほうに全て回されます。 でも、外部に漏れることは絶対にありませんので、 そこらあたりは安心してください。 以上の条件でよかったら、ここにサインしてください」 彼女はカバンから紙とペンを出してきた。 細かい字がたくさん書いてあって、読む気もしない。 「これって、使用許諾書みたいなもん? このソフトウェアを使用するにあたり、 発生した損害どうのこうの、ってやつと同じ?」 「はい、だいたいそんな感じです」 いいんじゃないか? どうせ、何もすることがないんだし。 相手がロボットであるなら、気がねも必要ない。 どんなに落ち込んでいても、まちがいなく腹はすく。 飯を作るのには、もう飽きていたし。 それに、失いたくないプライバシーなんて‥‥ 「どこに書けばいいの? ここ?」 「そう、そこです」 サラサラサラっと。 「これでいい?」 「結構です。でも‥」 「?」 「いいんですか?」 「なにが?」 「中身読まなくても」 「いいよ」 「あとでこんなはずじゃなかった、ってクレームつけられても」 「そんなこと言わないよ。信用してくれ」 「わかりました。すみません、ちょっと電話かけます」 カバンから携帯を取り出した彼女は、 メモリーからどこかにかけてる。 「あ、山崎です。契約成立しましたので、業務開始します。 はい、わかってます。じゃまた連絡します」 「すみませんでした」 「内部に通信機能なんてないの?」 「え? あぁ、私自身にですか?」 「そ」 「ありますが、今回はヒューマノイドタイプとしての、 データ収集が目的ですので、 あくまで人間と同じやりかたで全てをやります」 「そうか。ま、そうかもな」 「じゃ、始めますね」 カバンからエプロンが取り出された。 イチゴ柄。手早く体に巻きつける。 そして三角形の布を頭にかぶる。これもイチゴが描かれている。 正直、かわいいと思った。 もう何ヶ月も無感動な日常に埋もれていた俺に、 今、久しぶりに人間らしい感情がよみがえっているようだ。 それも、皮肉なことにアンドロイドによって。 「それってさ」 「?」 「‥‥いや、‥‥その柄、山崎さんの趣味なのかなって思って」 「あぁ、これですか?」 「もしかして、プログラムのデフォルトだとか?」 「いえそんなことありません。私の趣味です。変ですか?」 「いや。なんかいい感じだし」 「あの‥‥ お願いがあるんですが?」 「なんだい?」 「かなり埃が立つと思うんで、外に出てていただけますか。 2時間ぐらいで済むと思うんですけど」 確かに、しばらく掃除もしてなかった。 「パチンコとか、ゲームセンターとか?」 「あまりそういうのはやらないんだ。 あっ、気にしなくていい。 出かけてくるよ。時間ぐらいつぶせるさ」 「じゃ、お願いします。あ、ごはんも作っておきますので」 「了解。じゃ、頼むわ」 * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * 街に出た。 陽射しがまぶしい。 人々は何も変わらない日常を演出していた。 公園ではよちよち歩きの子供が歩き、 そばの母親らしき女性は、隣の同年代の女性と話をしている。 商店の主がシャッターを開け、中のものを外に並べている。 通りがかった主婦と顔見知りなのか、ふたことみこと言葉をかわす。 なにもかもが、変わらない景色。 俺の心の中から、大事なものが消え失せた以外は、なにも変わってはいない。 前によく来た喫茶店に入る。 ウェイトレスも変わっていた。 「モカマタリ、ストレートで」 「あの、すみませんけど、ブレンドとアメリカンしか‥」 メニューも替わっていた。あきらめて、ブレンドを頼む。 ここのストレートコーヒーはどれもうまかった。 特にモカマタリ。その酸味の強さが好きだった。 俺も、そして久美子も。 こんな思いをすることが嫌で、この店に来たくなかった。 コーヒーショップだけじゃなく、 街のいろんな場所に、思い出が埋もれている。 二人分の、何年間かの記憶が。 「お待たせしました」 置かれたカップから立ち上る湯気が、白くゆれている。 口をつける。いい味だ。 メニューは替わっているが、 マスターも、プライドだけは捨てていないと分る。 プライド? 俺はどうなんだ? 久美子のいない日常は、 終着点もなくループする、ただの時間の流れでしかなかった。 俺の手元には、今、何ひとつ残されてはいない。 希望も、願いも、そして明日という日も。 それでも、不思議なことに、 目の前のコーヒーをうまいと感じる俺がいる。 いろいろと、とりとめも無く考えているうちに、 いつのまにか、約束の二時間が経っていた。 「しばらくお見えじゃありませんでしたね」 レジで勘定をしたときに声をかけられた。 マスターは俺のことを覚えていたようだ。 「ええ、ちょっと」 「モカマタリは、メニューになくなっちゃったんですが、 また来てくださいね」 「ええ、また来ます」 ドアをくぐり、外に出る。 またここに来る? とっさに出ただけの、中身のない言葉。 今の自分によく似合ってると思った。 * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * 部屋は隅々までピカピカになっていた。 最新のアンドロイドは、 姿かたちだけでなく、仕事もパーフェクトのようだ。 台所のほうから声がする。 「すみませ〜ん。これから食事を作るところなんです」 「かまわないよ」 「思ったより掃除に手間取っちゃって」 「いいって」 「すみません、もう少し」 「だから!」 彼女の遠慮深さに、怒りを覚えそうになってハッとする。 何に対していらだっているのだろう。 そんな自分から逃げ出したくなって、ベッドルームに行った。 カーテンが開けられていた。空気の入れ替えも済んでいる。 よどんだ空気の中で息をしていたことが、いまさらながらわかる。 たんすを開けると、綺麗に折りたたんだ下着と、シャツが見えた。 着替える。思いついて、洗面所で伸びていた髭もそった。 ダイニングに戻る。 彼女は料理の手を止めて、まじまじと俺を見る。 「よかった」 「え?」 「あの〜、さっきまでの吉永さん見てて、どうしよかって思って‥」 「え? ああ、そうだよな。わかる」 さっき、久しぶりに鏡で自分の顔を見て、 怪しさ爆発だな、とわれながら思ったぐらいだから。 「お昼ご飯、あと5分ぐらいで出来ますから」 テーブルにまでいい香りが漂ってくる。 遠慮していた彼女を説得して、一緒に食べてもらった。 いや、アンドロイドにとって、食事がどんな意味があるのかは不明だが。 さすがに、目の前で見つめられてると、ご飯が食べにくかったから。 「ごちそうさま、とってもうまかった」 「ありがとうございます。 そう言っていただけると、とってもうれしいですね」 お茶が入る。 「ちょっと、言っておいたほうがいいかな」 「何をですか?」 湯飲み茶碗をかかえたまま、こちらを見つめる彼女。 首をかしげる様子がかわいい。 なんか、見覚えのあるしぐさ? いや、どんな娘でもするだろう、こんなこと。 「その前に。君のことだけど、 加奈ちゃん‥‥ って呼んでいいかな?」 「いいですよ、それで」 「で、俺のことはヒロシって‥ ダメかな?」 「う〜ん。その方がいいのなら‥‥ じゃこれから、弘志さん、ってお呼びします」 「うん、そうしてくれ」 「おれがこんな生活をしてるわけ、話すわ」 「あの、それは、別に無理には。 なんか弘志さんにつらいことがあったのは、わかってます。 それに、研究室にデータがコピーされちゃいますし」 「かまわないよ。気にしてないから、そのことは」 「じゃ、どうして?」 「いや、時が全てを解決してくれるかな? って思ってたんだけど、 逆に、どんどん気持ちが沈んでいくばかりで。 これって、ちょうどいい機会かもしれない。 話を聞いてもらおうか。そう思って」 「そうですか‥‥ わかりました。うかがいます」 「3ヶ月前まで、俺には久美子っていう彼女がいた。 矢島久美子。同い年の20才。 ちょっと気の強いところはあったけど、 まぁ、結構うまく行ってたと思う」 「あの日、俺と久美子はめずらしく口喧嘩をしてた。 思い出せないくらい、たわいも無いことで」 「怒った彼女は、俺を置いて横断歩道を渡り始めた。 真ん中あたりまで行ったところで、俺のほうを振り返り、 『ばーか!』って子供のような罵倒をよこしてきた。 おれはつい笑ってしまった。その瞬間だった‥‥」 「後で聞いたら、居眠り運転だったそうだ。 その営業マンは、病院の廊下で、 真っ青になって頭を抱え込んでいたよ。 でも、その時の俺は、そいつを憎むことさえ忘れていた」 「葬式がすんで、 ぽっかりと胸の真中に、でかい穴があいたような気持ちだった。 何もする気にならない。 そうして、気が付いたら3ヶ月も経っていた」 「わたし‥‥ なにを言ったらいいのか‥」 「いいよ。なぐさめてもらおうとは思っちゃいない。 話してみたかった、それだけだよ。 ありがとう、聞いてくれて」 「いえ、とんでもありません」 「かたづけ‥ しますね」 「あぁ」 Part. 2 |