数日後、再び帰りの遅い日があった。
背広をしまうとき、何気なく匂いをかぐ。
いやぁね、女って。これじゃまるっきり、
ドラマでよくある、嫉妬心の強い妻みたいで‥‥
記憶にある匂いがした。
このあいだと同じ。
偶然?
たまたま同じ女が、たまたま同じ電車で?
それはありえないこと。
女がいる‥‥
頭がクラクラして、くずれるようにベッドに座る。
ちがう。なにかわけがあって‥‥
でもそれはどんなわけだろう?
自分で言っておきながら、何も思いつかない。
頭の中で、私はどうどう巡りを繰り返していた。
寝室のドアが開いた。
「どうしたんだ? 待ってたのに」
「ごめんなさい、ちょっとめまいがして」
「大丈夫か?」
「だいじょうぶ。もう治ったから。
ごはんにしましょう?」
「そうだな」
何一つ変わった雰囲気は無い。
何も。
どう考えたらいいのだろう。
「やっぱ具合悪いのか?」
「え?」
「おかわり、ってさっきから言ってんのに」
目の前には御飯茶碗が出されていた。
あわててごはんをよそった。
「ご飯食べたら寝ろよ。片付けはしておくから」
「‥そうしよっか」
「そのほうがいいよ」
顔を見てるのがつらかった。
どうしたら?
どうしたらいいんだろ、こんなとき。
眠りに落ちる寸前、
他の誰かを抱きしめてるあの人の姿が、
瞬間的に脳裏に浮かび上がる。
悲しい。
私の心を支配した感情は、まぎれもなくそれだった。
様々な出来事と時間を経てなお、
私がまだあの人を愛してることに驚いていた。
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数日後、娘の里美が昼に遊びに来た。
2才の洋介はやんちゃ盛り。
あちこちに行っては無茶をするので、
片時も目が離せない。
「誰に似たのかしらね? この子。もう困っちゃう」
「あんたに決まってるでしょ?
手間かかったんだから、あんたには」
「そうかなぁ。ま、怪我多かったね確かに」
「でしょ?」
「洋介! そっちはあぶないからだめよ〜!」
そんな間も、私は一つのことを考えていた。
そう、「女」のこと。
「どうしたの?」
里美が目の前で私の顔を覗き込んでいる。
かたわらを見ると、やんちゃ坊主は、
幼児番組を見ながら寝入ってしまっていた。
「ちょっとね」
「ふーん。話しにくいことなの?」
娘の顔を見ていて、
他に相談できる人もいないのに気づく。
「実はね‥‥」
「お父さんが? ちょっとそれ、無理が多くない?」
「お母さんもそう思うんだけど。でもね‥」
「あの、朴念仁を絵に描いたようなお父さんが、
この期に及んで浮気かぁ‥」
「私も信用したいのよ。でもやっぱり」
「もしかしてお母さん、妬いてる?」
「馬鹿言わないの! いまさら」
「いまさら‥‥でもないんじゃない?
男と女なんだから」
そう、私は妬いていた。姿の見えない女に。
「ぶっちゃけ、聞いちゃったら?」
「なんて?」
「浮気してますか? って」
「そんなこと言えるわけ、ないでしょ!」
「なに笑ってるの? あんた」
「だって‥ ハハ。お母さん、高校生‥ちがうな、
中学生のお嬢様みたいなんだもん」
「‥‥‥」
「好きな人に告白できないで、うろうろしてる感じ?」
「シチュエーション違うでしょ!」
「似たようなもんよ」
「そうだ。お父さんの電話って何時ごろ来る?」
「え? あぁ。それ、だいたい4時ごろ」
「じゃ、会社に行って、
ばれないようにあとをつけたら?」
「そんなこと‥‥」
「大丈夫だって。だいたい決まってるよ。
パソコンショップとかオーディオショップで、
新製品を見て腕組んでうなったりしてさ。
多分そんなとこ。
悩んでいるより、リアルタイムチェックのほうが、
いいって」
反論しようとしたけど、
たしかに里美の言うとおりかもしれない。
なんでもなければ、疑惑に気づかれずに全てが終わる。
無かったことになる。
洋介が起き上がる。
「おはよう、洋介」
おなかのすいた洋介のために、
里美はご飯を作り始める。
なんでもない。なにもあるわけがない。
だから悪いことじゃない。
私は自分に言い訳を繰り返していた。